PANDEMONIUM/大混乱!?の現場から

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2005年 06月 09日

作って、造って、創り抜けろ!vol.03

最後のエントリーです。

毎日建築まみれにはなってはいましたが、パンデミックとゼネコンという両天秤な生活もそう長くは続けられません。またしても決断の時はやってきます。そのころパンデミックとしての活動を影ながら手伝っていたのが現在のパートナー「伊藤良」。彼とは高校時代からの親友。高校→大学(大学は違いますが)と同じフットボーラーでもありますからいつも何をするにも一緒。そんな彼も僕より一年遅れで大学の建築学科に入学し、アトリエ系の設計事務所に勤め、その終わり際にパンデミックの仕事を手伝いはじめます。(当時にこんな仕事こんな仕事がありました・・・)

大事な人物がもうひとり。
全くをもって畑の違うこれまた僕の親友!?(彼と彼の奥さんは悪友と思っているかも・・・)「鈴木健仁」。彼とは僕がパンデミックとして活動をはじめた頃高校時代の麻雀仲間な関係以来、10年ぶりに偶然に再会をし、お互い毎日かなり暇でしたので代官山界隈でぶらぶらぶらぶら遊び呆けていました。彼は当時、日産マリノスのJリーガー。毎日午前か午後の2時間のみっちりなトレーニングしかありませんから、練習が終われば代官山のパンデミックにいつも遊びに来ていました。夜は夜で意外に寂しい人でしたから、僕との同伴(笑)で麻布十番の焼き鳥屋の常連となってひとりでカウンターで水炊きを食べてました。(大笑)

そんなこんなで高校時代からの友人の3人でパンデミックは会社を法人化し本格的な活動をはじめます。それが4年前。「鈴木」は当然Jリーガーですから実質、設計事務所としての仕事は「大隅」と「伊藤」のふたりで突っ走ります。これはこれでまた大変な年月でしたが有限会社化して2年たったころから、何とか何とか会社としての体裁が整ってきます。そんなとき入所してきたのが大学の後輩でもあり、宮脇檀事務所出身の「太田裕子」。大学時代に研究室の僕の仕事を手伝ってくれたよしみと、パンデミック代官山2坪事務所時代のご近所さんということもありよくランチを一緒していました。そんな繋がリの中からパンデミックに入所をしてきました。

現在「鈴木」は社外取締役となり、「大隅」が代表取締役をつとめ、「伊藤」が専務取締役、「太田女史」はデザイナーという構成となっております。昨日の晩のミーティングでなんともパンデミックとして「つくる」ことへの思いがぶれているのではないかとおもい、パンデミックを各々が見つめ直す為にも、このわけの分からん3回連続のエントリーとなりました。会社を興すさい、友人知人でやるのはどうかという声は当然周りから聞こえました。そんな雑音が届かない程のスピードでパンデミックは走り続けてきました。親友達であるからこそ信じられることはたくさんありますし、以心伝心な場面は数え切れません。「親しき中にも礼儀あり」「初心忘るべからず」。こういう時だからこそ今一度肝に命じてパンデミックは、作って、造って、創り抜けていきます。

ながいながいエントリーにおつき合い頂きまして本当にありがとうございました。

by pandemic | 2005-06-09 09:19 | 日課牧歌


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